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良則良則

押忍!空手バカ30代の良則です!

38歳でまだ悪あがきをしている空手家です。

このたびの熊本地震に遭われた空手家のみなさん、また被災されたすべてのみなさんに謹んでお見舞い申し上げます。1日も早い復興をお祈りいたします。

また、空手家として、空手を通して何かできることがありましたら、よびかけていただきたいと思います。できることがあれば協力させていただきたいと思います。

私が被災した過去の体験

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私が地震の被害に遭ったのは、1993年7月の北海道西南沖地震。北海道南部の地方街に診療所を作る仕事をしている時でした。

大きな揺れで、冷蔵庫や洗濯機が倒れ、窓枠が外れ落ちるといった状況です。窓枠が外に落ちるのは良いのですが、家の中に落ちると、床にたたきつけられたガラスが割れ一帯に飛び散り足の踏み場もありません。

海岸に家が近かったこともから、津波警報が出され、となりに住んでいた大家さん夫婦2人を含め7人でワゴン車に乗り込み、小高い丘に逃げました。

そして1晩。次々に襲う余震に子供たちがおびえ、本当に生きた心地がしないというのはこのことかと思いました。

津波警報が解除され、夜も明けたので家に帰ると、窓はなく、朝日が散乱した家の中に差し込んでいました。



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空手を指導することに

道場責任者をしていた、自衛隊員の先生(支部長)はいち早く、被害の甚大であった奥尻島に派遣されてしまい、子供たちの指導を私一人で行わなくてはなりませんでした。

私は、その街に診療を作るため、その年の4月に赴任したばかりで、子供たちの名前も良くわかりません。

空手歴はそれなりにあったものの、当時の段位は初段。指導経験は赴任前の街で少しあった程度。また地区連盟や流派の連絡・行事等も取り仕切る支部長の仕事は一切わからないという状況でした。

体育館を管理する町役場やスポーツ少年団との関係は支部長の奥さん(まだ小さい子を抱えていた)にお任せし、空手指導はとにかく私しかいないので、腹をくくって行うことにしました。

家は被災し、私にも下は3歳から小学2年までの子供が3人。妻は保育士として働いている状況で、地震の街で空手の指導をしなくてはならないという厳しい状況でしたが、多くの空手家の励まし、応援があり乗り越えることができました。

自衛隊の派遣は当初より長期になり、支部長も月1回ヘリコプターで地元に戻るものの、疲労回復に努めるのが精一杯という状況が長く続きました。



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空手の稽古とその後の復興

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その時に、歯を食いしばって乗り越えられたのは、日頃の稽古で培った、強い心と身体があったからだと思います。

多少、寝なくてもがんばれる体力があったこと。多すぎる困難な課題に対してもくじけることなく頑張れた心が合ったからと思います。

体育館に響く子供たちの元気な気合いは、いつ終わるともわからない長引く復興作業、ともすれば失いかける希望に火をともすものとなりました。

私自身も空手に打ち込む時は、心が洗われるような気持ちとなり、その後の復興や仕事に打ち込むことができました。



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東日本大震災の時に恩返し

東日本大震災の時は、支部でカンパを集め被災地に送ったり、津波で流された道着の代わりになるものを集めて送る支援活動を道場に通う子供たちと一緒に行い、恩返しをしました。

日本列島はどこで、このたびのような地震が起こっても不思議がないといわれています。

地震の備えを充分するとともに、助け合い「武士は相身互い」の気持ちを持って行きたいと思います。

そういうことができるのが、空手をやってきた、空手で心身を鍛えている者の証ではないかと思います。

ともに頑張りましょう。

押忍



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